木燃人の道行

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2012
04/24 08:00

738 八坂神社 (京都)

京都東山北部 寺と神社と桜めぐり (1)


いよいよの季節が到来、予てから京都の桜を狙っていた所、2012.04.08(日)は天候は問題無し、本来なら混雑が予想されるので避けたい日曜日ながら、行く場所と方法で調節は可能であるし、本来の計画日の明日月曜日よりも天候が良いとして、決行を決めた。(唯、単に早く行きたかったっだけの事。)

朝6時に目覚ましを掛けて就寝するも5時に目覚めた、もう寝ては居られない、直ちに起きて仕度をして、午前6時30分に自宅を出発。途中給油などをして、丁度7時に鈴鹿ICを通過、途中大津SAでトイレ休憩して、8時20分に祇園に到着。市立円山駐車場があるのも知らず、直ぐ近くの民間駐車場に車を置いて出発。


下は普通は考えられない程人通りの少ない八坂神社前「祇園交差点」(午前8時30分)

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寺院等門がある所は、多くは9時を過ぎないと入れないが、殆どの神社には鳥居はあっても時間に関係なく入れるので、駐車場から歩いて2~3分、8時30分に「八坂神社」に入ったのである。こんなに早い時間に京都の寺社に入ったのは初めてと振り返ってみると、祇園周辺でも流石に日曜日のこの時間帯は人通りはまばらであった。


「八坂神社」  (やさかじんじゃ)
         京都市東山区祇園町

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平安京建都(794)以前より八坂神社のある東山一帯はひらけた場所で、渡来人であった八坂造(やさかのみやつこ)一族が住したところであった。「八坂の塔」で有名な法観寺も平安京以前の創建で、八坂造の氏寺ではなかったかともいわれている。


八坂神社一帯には広大な寺域を持ち、「定額寺」という高い格式を誇った観慶寺があり、別名を祇園寺といった。

その寺域内にあった「天神堂」が八坂神社の前身である。

観慶寺はどういう理由かわからないが衰退し、天神堂が多くの崇敬を集めるようになり発展し、祇園社(八坂神社)となった。


祇園社という呼称は観慶寺の別名祇園寺に因むものと思われる。ただ、鳥居に掲げられていた額には「感神院」と書かれており、この呼称も平安朝にまでさかのぼるものである。祇園社と感神院の呼称の使い分けについては、その理由は今のところ判然としない。

八坂神社の創祀を社伝では斉明天皇2年(656)と伝えている。この年には高句麗の使い伊利之(いりし)が来朝し、彼は八坂造の祖先である意利佐(いりさ)と同一人物と考えられている。

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清盛の父である平忠盛は清盛の生前、時の権力者である白河上皇の護衛を勤めていました。当時、白河上皇は寵愛する女性、祇園女御のところへ忠盛を共に通っていました。

ある晩、白河上皇は化け物の姿を目にして、忠盛に討ち取るよう命じます。ですが忠盛は、それが灯明をともす老僧であることを察しました。この忠盛の冷静沈着さに白河上皇は感心し、寵愛する祇園女御を忠盛に下賜したそうです。

この時点で祇園女御はすでに身ごもっており、後に男子誕生。清盛と名づけられたというものです。いわゆる平清盛の落胤説です(なお、清盛の母は祇園女御の妹という説もあります)。

八坂神社と忠盛・清盛親子に関するエピソードとしては「祇園闘乱事件」があります。ことの起こりは久安3年(1147年)6月15日、宿願の成就祈願に訪れた清盛の郎党が、祇園社の神人と小競り合いとなり、多くの負傷者が出ました。

この事件を知った祇園社の本寺である比叡山・延暦寺は、平忠盛・清盛を配流(いわゆる島流し)させるよう訴え、親子は窮地に立たされます。

しかし、清盛らの武力をあてにしていた鳥羽法皇の庇護により、今でいうところの罰金刑に落ち着くことになりました。このことは鳥羽法皇の平家に対する信任ぶりを周囲に誇示することになり、また鳥羽法皇にとっても、朝廷への発言権を強めていた延暦寺の要求を事実上拒否することに成功した事例となりました。

このことが、武士の持つ武力の有効性・重要性を世間に知らしめる転機となり、ひいては後の平家武家政権へのきっかけとなったとされています。

この二つのエピソードは、現在放映中の大河ドラマの設定とは少し違うなぁ!。

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朝早いから、まだ”テキ屋”さん達も営業していない。

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この後の写真は、再度八坂神社に来て、午前10時過ぎに撮ったもので、早くもかなりの人通りになっている。

この桜を見るのが今日の大きな目的の一つと言っても過言ではない程の憧れの桜ではあるが、私と同様かなりお年を召した為か、今一つ勢いに欠けるように思えたが・・・・・?。


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この神社などで式を上げたようなカップルだが、夫々が別の人に電話して、何を報告してるのだろうか?。

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この後円山公園を通って「知恩院」に向ったが、それは後述とする。

                                       << 続く >>


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