木燃人の道行

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2012
04/30 08:00

743 建仁寺(京都)

京都東山北部 寺と神社と桜めぐり (6)

八坂神社前の「祇園交差点」から、四条通りを300mほど西に進み、左折するとこの道は「花見小路通」と言い、まっすぐ南下すると、お目当ての「建仁寺」に突き当たる。


「建仁寺」  (けんにんじ)
        臨済宗建仁寺派大本山  山号:東山(とうざん)
        京都市東山区大和大路四条下る小松町
        境内自由 堂内拝観¥500

「勅使門」

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建仁寺(けんにんじ)は、京都府京都市東山区にある臨済宗建仁寺派大本山の寺院。山号を東山(とうざん)と号する。本尊は釈迦如来、開基(創立者)は源頼家、開山は栄西である。

京都五山の第3位に列せられている。俵屋宗達の「風神雷神図」、海北友松(かいほうゆうしょう)の襖絵などの文化財を豊富に伝える。山内の塔頭としては、桃山時代の池泉回遊式庭園で有名であり、貴重な古籍や、漢籍・朝鮮本などの文化財も多数所蔵していることで知られる両足院などが見られる。また、豊臣秀吉を祀る高台寺や、「八坂の塔」のある法観寺は建仁寺の末寺である。寺号は「けんにんじ」と読むが、地元では「けんねんさん」の名で親しまれている。

日本に臨済宗を正式に伝えたのは栄西(ようさい、えいさい)がはじめとされている。栄西は永治元年(1141年)、備中国(岡山県)に生まれた。13歳で比叡山に上り翌年得度(出家)。仁安3年(1168年)と文治3年(1187年)の2回、南宋に渡航した。1度目の渡宋はわずか半年であったが、2度目の渡宋の際、臨済宗黄龍派(おうりょうは)の虚庵懐敞(きあんえじょう)に参禅した。建久2年(1191年)、虚庵から印可(師匠の法を嗣いだという証明)を得て、帰国する。当時、京都では比叡山(延暦寺)の勢力が強大で、禅寺を開くことは困難であった。栄西ははじめ九州博多に聖福寺を建て、のち鎌倉に移り、北条政子の援助で正治2年(1200年)に建立された寿福寺の開山となる。その2年後の建仁2年(1202年)、鎌倉幕府2代将軍源頼家の援助を得て、京都における臨済宗の拠点として建立されたのが建仁寺である。伽藍は宋の百丈山に擬して造営された。

創建当時の建仁寺は天台、真言、禅の3宗並立であった。これは当時の京都では真言、天台の既存宗派の勢力が強大だったことが背景にある。創建から半世紀以上経た正元元年(1259年)には宋僧の蘭渓道隆(らんけいどうりゅう、鎌倉建長寺の開山)が11世住職として入寺し、この頃から純粋禅の寺院となる。

建仁寺は、応仁の乱による焼失のほか、応永4年(1397年)、文明13年(1481年)などたびたび火災にあっており、創建当時の建物は残っていない

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「三門」

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かの有名な「風神雷神図屏風」(国宝のレプリカ)。

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「雲龍図」(レプリカ)

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「法堂」

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法堂の天井に描かれた「双龍図」

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舞子さんの撮影を境内で見かけたので、こっそり撮らせてもらったもの。ちょっと表情が硬いが・・・・。

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風神雷神の絵は、かなり昔から知っていたが、建仁寺にある事は長い間知らなかった。20年位前に参拝予定があったが仕事がって行けなかった。このため、予てからチャンスを狙っていた寺に漸く来れたのであった。

                                    << 続く >>

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