木燃人の道行

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2012
04/07 08:00

710 京都-北の古寺(11) 妙顕寺

2012.03.03(土)、急な思い付きで京都に来て、何とすでに10の寺を見て来たが、まだ時間があり、ここらは日蓮宗の密集地、もうひと寺でお終いとして、入って見たのである。

「妙顕寺」  (みょうけんじ)
        京都市上京区寺の内通新町西入妙顕寺前町514
        日蓮宗  四海唱導妙顕寺  具足山
        
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当山は北陸総鎮守「気比神宮」の学問所とし、藤原不比等の子、北家藤原家「藤原武智麻呂」により、「春鶯山 気比神宮寺」として創建される。その後、永仁二年(1294)三月、日蓮聖人の法孫である日像上人が華洛弘教の途中、当山にて一夜の宿を申し出た。時の別当であった「覚円」はその数四六番の法論を交わすも、日像上人は悉くそれを論破。教化を受けた覚円は気比神宮寺を現寺山号に改める。覚円が日像上人の弟子となった事により、覚円の弟であった「明覚」は寺宝である「名刀番神丸」を手に夜襲を企てたが成らず、かえって教化されたという。寺伝には、「夜襲行いしかども、三十番神上人を守りこれにて、改宗いたし・・・」とある。
 時は流れ、当山第七世「三智院日森上人」は宗風を盛んにし本山客末上首となる。これにより、本山と同じであった山号に「最初」の二字を加わり「最初具足山 最初妙顕寺」と号し、日像菩薩「四箇聖跡」中第一の名刹となったのである。

 史実より元亀元年四月、織田信長が、朝倉氏天筒山城攻めの折り、当山にて陣を張ったことより、当山が地方の要所であったことがうかがえる。
 
宝永・天保年間の二回の大火により、塔頭八支院を含め全山焼失するも、その後歴代再興を尽くす。しかしながら昭和二十年七月戦火にて、再度焼失。当山歴代四十四世「教智院日洸上人」本堂・庫裡再建、四十六世「教護院日晨上人」本堂再々建、四十七世「教應院日亮上人」書院・庫裡増築、現在に至るのである。

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京都でも戦災に遭ってる所があるとは知らなかった。近くに軍の施設でもあったのだろうか?。

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何故かここも工事中にて、本堂などに入ることは許されなかった。

かつては日蓮宗の大本山であったようだが、詳しいことはよく解らないので、参考までに寺のホームページを載せておく。

   
http://shikaishodo.com/index.html

                              < 続く >
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